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1942年戦中の動乱期に神戸港・姫路港・大阪港をベースに、内航海運をスタートした当社は2022年12月で創業80年を迎えました。日本経済の移り変わりとともに成長を続けた兵機海運の80年をご紹介します。
1940〜1950年代
- 1940
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1941年
昭和16年12月8日 太平洋戦争始まる
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内航海運業
スタート -
1942年12月
- 兵庫機帆船運送株式会社設立
内航海運業を開始 - 兵庫県下の全内航海運業者218店及び船主を集約統合して内航海運業を開始
(この時期各府県ごとに機帆船運送の社名を持つ新会社が北海道から九州まで約40社誕生した)
本店所在地 神戸市神戸区東町122
代表取締役社長 加藤豊市
資本金 200万円
従業員数 約500名
株主数 901名
当時の戦時統制経済体制の一環として国家から強制的に作られたのが当社の始まり
- 兵庫機帆船運送株式会社設立
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1943年6月
大手汽船各社による機帆船運航会社設立
(郵船近海機船、三井近海機船、山下近海機船、大阪機船、川崎近海機船、辰馬近海機船、日産近海機船、栗林近海機船、北海機船、神戸近海機船の11社)
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1943年12月
- 第1回株主総会社長挨拶文
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- 1944年1月
- 兵庫港地区荷役業者11店を集約合同せしめ有限会社兵庫機帆組(後に兵機運輸株式会社)設立
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1944年6月
- 本社を神戸市神戸区栄町通4丁目3番地に移転
- 運輸通信大臣から船舶運営運航実務者を命じられる
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1944年
東京にB29爆撃機による初空襲
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- 1945年7月
- 当社設立時兵庫地区での約2,000隻の機帆船が次々と徴用されて南方へ向かったため、終戦時、兵庫機帆船運送に残された機帆船は60%減の800隻に激減し、それも小型の老朽船ばかりが残っていた」といわれている(全海運沿革史)
第21兵庫丸空襲により全焼沈没
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1945年
広島・長崎に原爆投下
第2次世界大戦終戦
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1946年4月
- 本社を神戸市生田区元町通6丁目40番地(三越神戸支店)へ移転
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- 1946年6月
- 戦時中に設立された機帆船運送会社は終戦後、ほぼ解散。当社は国からアメリカからの輸入食糧を国内輸送する任務が課せられ、規模拡大を続けた
国家管理機帆船の国家使用解除始まる
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1946年9月
海運統制令廃止
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1946年
新憲法公布
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1947年5月
船舶公団設立
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1947年6月
日本海運協会解散
日本船主協会創立(海運の民間還元を実現)
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1947年8月
日本近海汽船協会設立
民間貿易再開許可
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1947年9月
船員法公布施行
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1948年12月
- 12月31日 企業再建整備計画許可
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兵庫機帆船株式会社定款(案)
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1949年3月
- 「兵庫機帆船株式会社」に商号変更、大阪支店開設
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大阪支店場所 大阪市北区絹笠町50番地堂島ビルヂング
営業経歴書(弊社の沿革)
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1949年4月
- 本社を神戸市生田区波止場町無番地へ移転
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1949年
単一為替レート実施(1ドル360円)
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1949年6月
海上運送法の公布(8月施行)
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1949年7月
- 300万円増資して、新資本金500万円となる
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港湾運送業
スタート -
1949年9月
- 港湾運送事業届出(現港湾運送事業各種免許)
港湾運送業開始
- 港湾運送事業届出(現港湾運送事業各種免許)
- 1950
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1950年3月
台糖砂糖荷役風景(推定昭和20年代)
船舶運航令公布
船舶運営会解散しGHQが商船管理委員会(CMMC)設置
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1950年4月
海運民営還元を完全実施
船舶運営会(戦時海運管理令の施行に伴い新たに設立され、政府が徴用した船舶の運航・管理を行う。日本商船隊は国家の管理下に置かれていた)が解散し、全船舶が船主に返還される
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1950年5月
木船運送法公布(事業登録制度、標準運賃制度)
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1950年8月
日本船のパナマ運河通航許可
日本船の北米諸港向け不定期船配船許可 -
1950年
朝鮮戦争勃発
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1950年9月
社船豊洋丸を米軍特需傭船へ提供
富士丸【機帆船】(推定昭和20年代)
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1950年11月
大阪商船の南米定期航路開設許可(戦後初の遠洋定期航路)
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1951年
バンコク、インド、パキスタン、ニューヨーク、 シアトル、ラングーン、カルカッタおよび韓国の各定期航路開設許可
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1951年4月
船舶職員法公布
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1951年8月
- 500万円増資して、新資本金1,000万円となる
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1951年
対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)、日米安保条約調印
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1952年
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1952年5月
木船運送法公布(7月施行)
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1952年10月
- 木船運送法事業登録(現内航海運業各種免許)
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日本郵船の欧州定期航路開設許可
この頃までに戦前の定期航路への復帰もほぼ完了
- 通関業
スタート -
1953年3月
- 税関貨物取扱人免許取得(現通関業免許)
通関業開始
- 税関貨物取扱人免許取得(現通関業免許)
1953年
日米友好通商航海条約調印、朝鮮戦争休戦
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1953年10月
- 500万円増資して、新資本金1,500万円となる
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1954年5月
大阪支店を堂島ビルから大阪市大正区三軒茶屋浜通1丁目15番地へ移転
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1954年8月
- 兵機建物株式会社設立
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1956年5月
新造鋼船暁丸竣工就航
暁丸
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1956年10月
- 1,500万円増資して、新資本金3,000万円となる
大阪支店新社屋落成
作業風景(推定昭和30年代)
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1956年
スエズ紛争により海運市況高騰
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1957年6月
新造鋼船曙丸竣工就航
曙丸
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1957年10月
- トラック運送事業を開始(現一般区域貨物自動車運送事業免許)
創立15周年記念大会開催
15周年記念
小型船海運組合法公布
1957年
スエズ運河再開
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1958年1月
日本最初の鉱石専用船「新田丸」(照国海運)が竣工
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1958年5月
- 大阪支店移転
- 大阪市大正区三軒家浜通1丁目17番地